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ぶつけた場所 [おたまじゃくし]

ぶつけた場所
―転んで泣いていた―
「どこぶつけたの」
床をたたきながら
「ここ、ここ!」
痛いところが聞きたかった
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正太寺報秋号掲載のマンガおたまじゃくし49号です。
子どものことなので微笑ましく眺めていられますが、自分がつまずいたことを棚に上げ、堅い床をうらめしく思っているとも見ることができます。

気をつけます [おたまじゃくし]

寺報連載中の四コマ漫画です。
中日新聞の「おたまじゃくし」という子どもたちの何気ない一言を一般応募から紹介するコーナーから気に入ったものを漫画に描きおこしています。

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〈気をつけます〉 ふゆべ・あやな 4歳
孫「おばあちゃんアイスありがとう」
祖母「はーい」
孫「はーいじゃなくて、いえいえどういたしましてって言うの」

一本取られたのはおばあちゃんのほう。大人って知らず知らずのうちに、子どもを子ども扱いしてしまいますね。お礼を言うことは勿論大事なことですが、そのお礼を正しく受け止めお返しすることって、大人になっても中々できないことですね。あやなちゃんは4歳ですが、そんなやりとりの意味が分かっているのでしょうね。背負うた子に教えられとは、正にこういうことですね。

やさしさの裏側 [おたまじゃくし]

良くない
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子 「ママ、風邪全然治らないね」
子 「誰かにうつすと治るんだって。僕にうつしたら?」
母 「優しいね」
子 「だってママは風邪が治るし、僕は学校が休めるし いいと思わん?」

忘己利他(己を忘れて、他を利する)は菩薩の心であります。それは親切や思いやりなど、人として大切なことでありますが、そこに自分の欲の心が混じると、逆にとてもいやらしいものになってしまいます。
親鸞聖人のご和讃に「修善も雑毒なるゆえに、虚仮の行とぞなづけたる」との厳しい言葉があるように、どんなに立派な善い行いにも、打算や駆け引きの心が混じってしまうのが、私たちの姿ではないでしょうか。
(正太寺寺報『ようこそようこそ 52号』より)


体重測定 [おたまじゃくし]

正太寺報「『ようこそようこそ』の連載マンガ「おたまじゃくし」45号です。
(中日新聞に子ども達の何気ないひとことを紹介するコーナー「おたまじゃくし」よりマンガ化して掲載しております)

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・体重計に乗りました
「私の2本の足の重さ 20㌔だよ」
「それは足の重さだけじゃないよ」
「全身の重さなんだよ」

5歳のさきちゃんとお母さんの会話です。
さきちゃんの目には体重計の上に乗った自分の2本の足が映っていたので、足の重さだと勘違いしたのでしょうね。その足が自分を支えていることに気付かないところが何ともかわいらしい。
さて私たちも自分自身を知るということは簡単なようで非常に難しい。外見、性格、履歴、人脈・・・バラバラな分析はできても、私そのものを「これが私」と押さえることが果たして人間にできるのでしょうか?

何に感謝? [おたまじゃくし]

正太寺報「ようこそようこそ」の連載漫画(おたまじゃくし)44号です

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〈 おいおい 〉 すぎた あやの

「ばばちゃんて ありがとうが口癖だね」

「あやちゃんも1日に10回以上言いんね」

「そんなにみんなに世話になれってこと?」


「ありがとう」とはお礼の言葉です。人に何かいただいたり助けてもらったりしたら「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えることは大事なことですね。でも何かもらったわけでもなく、お世話になったわけでもない時に「ありがとう」を言う必要はないともいえます。
もちろんその通りです。
では、私たちは普段どれほどの助けをいただき、お世話していただいているのでしょうか。
ばばちゃんにはそれが「自分では気づかないほど私はたくさんの助けやお世話をいただいている」と知っているのでしょう。それを「おかげさま」とも言い表します。
まだ12歳のあやのちゃんにはその「おかげさま」の世界が分からないのでしょう。
いえいえ、これは歳をとっても気づかぬままということもありますから、これは私の問題でもありますね。

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