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東海寺 [高田の寺々]

東海寺2016.jpg

もう半月も前になってしまいましたが、津市白塚の東海寺へとお邪魔する機会がありました。
白塚というのは高田本山からまっすぐ東に向かい海岸に面した町。昔の街並みそのままに細い道が縦横に伸びています。車で通るには冷汗が出るほど。
この白塚というところは本山の報恩講お七夜の時に「通夜講(つやこう)」といって1月15日の晩、御影堂で聖人の和讃を一句一句繰りながら皆で声を合わせてお勤めを行っているのです。そうした講(グループ)がいくつも御堂に陣取り、まだ私が二十代だった頃の記憶では、深々と冷え込む御堂に幾重にも抑揚のついた節があちらからこちらから響いていました。
最近の様子はわかりませんが、継承者がいないということを聞いています。

さて、こちら東海寺ですが、本堂の裏に立派な阿弥陀如来坐像(座っている姿)が安置されておりました。なんでも明治時代に本尊は阿弥陀如来立像(立った姿)でなければならないというお達しが出され、須弥壇のご本尊を改めたということです。確かに真宗では阿弥陀様は立像であるところに重きをおいています。ではなぜ東海寺には坐像が祀られていたのでしょう。

東海寺の歴史を訪ねてみると、伊豆出身の浄慧が江戸品川の東海寺にて勉学修行され、のち伊勢の地に入り高田中興の祖・真慧上人に師事した後、ここ白塚の地に念仏道場を開いたという。これが東海寺の基となる。その後、第七世・智元のときに本堂が立てられた。智元は江戸芝の増上寺で学問修行されたという。増上寺といえば浄土宗の本山であります。増上寺も京都の知恩院もご本尊は阿弥陀如来坐像ですので、こちら白塚の東海寺のご本尊が阿弥陀如来坐像になったのかもしれません。

第十世誾了は高田派学頭(今日の勧学)となり、高田勧学堂を建てるために尽力されたという。
東海寺の現住職が高田派教学院の院長を務めていらっしゃることと、深い因縁を感じます。

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